2012年11月19日月曜日

【まとめ】エヴァQのあらすじと考察


ヱヴァンゲリヲン:Qがとうとう上映されました。
早速、昨日観てきました。他のまとめと合わせて、色々と考察を書こうと思います。

※当然、以降はネタバレ含むので注意です。




2012年11月18日日曜日

大きな変化はないかもしれない


衆議院が解散し、選挙となった。

<衆議院解散、来月16日総選挙へ>
http://www.newsweekjapan.jp/headlines/business/2012/11/87450.php

2012年11月14日水曜日

あばれの一本はくれたやった方が良いときもある


物事には外部環境の変化や圧力への耐久性というものがある。
転び方を知らない人は、転ぶと怪我をする。怪我をしない人は、転ばない人ではなく、うまく転ぶ人であると思う。その点では、耐久性とは、何かの影響をゼロにすることではなく、最小に済ませることではないか、と思う。

2012年11月3日土曜日

柿を売りに来た兄さんから学ぼうよ


今日うちに、若い男の人が柿を売りにきた。個人的にはうまい営業だったと思うので、そのやり取りをここに記したい。

2012年10月16日火曜日

ビジネスについて、ユニクロのトップ柳井正さんのインタビューを読む


ユニクロを展開しているファーストリテイリング社の社長、柳井正さんが日経ビジネス(10月8日号)でインタビューにでてました。
話題は、中国についてです。曰く、このまま中国には残るつもり、そして日本の政治家しゃきっとせい、ということですが、僕が気になったのは後半のグローバル教育について。

2012年10月11日木曜日

認知症について


最近、認知症の方達とふれあう機会があったので、そのときの話を。
今まで認知症を知らなかったので、思った通りに書きます。まだまだ勘違いしているとことがあると思うので、指摘していただけるとありがたいです。

2012年10月10日水曜日

募金の効果


ひょんな事から、街頭で募金活動をすることになりました。赤い羽根募金という、よく見かけるやつです。
今回はその時に思った事を、いくつか。

2012年10月6日土曜日

知識は人によってニーズが違う。


昨日は、TV東京の番組で、北野武と文科省でゆとり教育を進めた役人の対談をやっていたので観た。(番組名は忘れた)

ゆとり教育のおかげで世界の中で成績は下がり、大学で分数の授業が必要になっている、という具合にその弊害を紹介していた。

2012年8月27日月曜日

無題じゃ


何かふと思うことが日常で多々ある。
なるべく書き留めたいから、メモ帳に書いたりする。原稿用紙も持ち歩いて、ひまな時はカフェでもうちっと長くつらつらと書いたりする。

今までは、書かなきゃ、とかアウトプットしなきゃ、とか何か生産的な人間になろうという衝動に駆られていたが、最近は落ち着いてきた。
ブログに書こうとか、いやノートを一冊持って、それに全部書こうとか、いやでもネットに公開したい、とか、いや自分一人で楽しむべきだ、とか本当に色々迷っていた。
でも、ブログで書きたいときもあれば、アナログにノートに書く方が良いときもある。
個人的だが、ブログの方が書くのは難しく感じる。直しをしやすいのは、原稿用紙に書いた時。ブログだと、自分でもどう書いていいか分からないときは、筆がすすまない。

という訳、今は、ブログに書きたかったら、こんな個人的なことでもブログに書くし、ノートにも書いていたりするのである。

そうすると、なんか力が抜けて、文章書くのが面白くなってきた、よ。

2012年8月26日日曜日

避暑日記


最近思ったことを一つ。それは、川と家について。

川遊びに行った。埼玉の秩父の方まで。
あーこんな川が家の近くあったら、毎日川遊びが出来て幸せだろうな、と思った。
うちの近くにも石神井川という川がある。
しかし、それは都市の川にお決まりの10数メートルのコンクリートで囲まれた、自然の跡形もない。
聞けば、両側に桜並木があったらしいが、片方は護岸工事のついでに切り、道路になってしまったらしい。
少し前なら、練馬区でも川遊びが出来た。

この川の近くは、コバエや虫の数が異常に多い。これは個人的な推量だが、木々が少なく鳥などの捕食者が住みづらいようなアンバランスな環境が原因ではないかと考えている。

なぜそんな自然豊かな河川をコンクリートで囲まなくてはならなかったのかと、怒りたくなる。
だが、当然その時代にはその時代なりの理由があったのだろう。コンクリートの道路を日本中に敷き詰め物流レベルを上げる、列島改造論が当時の中心政策だった。
もう一つは、川が溢れてしまう災害を減らすためだった。
要は川が溢れたら家にダメになってしまう訳だ。だから、これも個人的な感覚だけど、川近くの家は護岸後に建つから少し周りよりも新しい気がする。
でも、そこまで自然破壊をして川近くに住まなきゃいけないような都市は間違っていると感じる。住まない場所は住めない。これは、最近多発するゲリラ豪雨による水害や先の大震災でも分かったことだと思う。やはり、人が住んではいけない場所はある。どんなテクノロジーをもってしても、その環境を克服することはできない。
だから、河川の近くもほんとは人が住んだりする場所ではないと思う。
そう言うと、今住んでる人がどうすんだとか、経済うんぬん、とか言い出す人がいそうだけど、だからダメという訳ではなくて、これからちょっとづつ考えましょうよと言いたい。

ま、これからの公共工事や都市計画はもっと自然環境に配慮したものが求められる。というありきたりな結論。(本当は、そんなことを市民や役所と一緒に考える場所をつくりたいのだけれども)

2012年6月29日金曜日

イマドキJ-POPに思うコト

イマドキJ-POPとは、今流行っている邦楽の曲の中でも、露骨に愛、恋人、運命への気持ちだったり願望をストレートに表現した曲を意味しています。
例えば、西野カナ。彼女の歌詞はこんな感じです。
「Best Friend」という曲(途中まで)




著作権の関係もあるので、goo音楽の歌詞よりキャプチャ。

他にもGReeeeNとか、
「キセキ」

興味あったらyoutubeでも観てください。

これが受け入れる人は、この流行りぐあいに対してはそんなに多くないと思うます。イマドキの若年層に特に人気であり、その認知度は人口に膾炙してる訳ではないと思われます。

今日もテレビを付けたらHey!Hey!Hey!という音楽番組がやっていたので、何気に観ていました。
まあ、そこでもさっき上げたようなイマドキJ-POPがやっていたので、その時ふと思う事があったので、ここに記したいと思います。


アイデアの発火点となったのは、この本からです。
文才がなくても書ける小説講座 (ソフトバンク新書)



この本のテーマである、いかに文章を書くかという事は、関係ないのですが、この鈴木さんが小説という作品の意味について解いたことが思い起こされました。
ここに引きます。


”私たちの心を、どこか深い所へと落とし込んでいくもの。
 小説とはそのようなものです。しかし、何ごとかを押しつけられた瞬間、私たちは心こわばらせてしまいます。そのことを小説は知っているのです。つまり、隠すことで、探すように仕向ける。決して無理強いはしない。これが小説の話法です。
  私たちの心を、どこか深い所へと落とし込んでいくもの。
  そして、私たちを黙らせるもの。”


”哲学も科学も経済学も、何ごとかを明らかにする事を旨とします。ところが、文学は違います。すでに述べたように、文学は隠すことを旨とします。
 例えば、伏線は文字どおり「伏せて待つ」技法でした。読者に説明したり、読者に説明したり、押しつけたりすることを嫌い、探してもらいたくてじっと伏せている。仮に探してもらえなくても、恨まない、つべこべ言わない。まさしく文学の作法であったわけです。
ところで、そんな凝ったやり方をしてまで小説が読者に伝えたいものとは何でしょう。ずいぶん間だるい方法を採用していますが、これは伝えたい欲求の裏返しであるはずです。説明すればそっぽを向き。押しつければ引いてしまうのが読者です。それを知っているから、小説はこんな手法を取るのです。そうしなければ伝えられないのです。何を?真実をです。”

”じつは事実や現実は、「真実」という言葉からは一番遠い言葉です。(中略)現実の中にどっぷりつかっていたのでは、人間の生は矮小化します。だから私たちは嘘の物語をこしらえて、真実という名の高みを目指すのです。「途中下車」(※例として挙げた宮本輝の作品)の中に真実を見る思いがするのは、人間のあらまほしき姿に触れる一瞬を、この作品が私たちに提供するからなのです。”


ここでの話は文学に関してですが、これは他の芸術作品にも拡張できると思われます。
つまり、真実は現実に必ずしも存在しているとは限らない、だからこそ、その現実に存在しない真実を描いたのが芸術作品や文学作品です。そして、名作と呼ばれる、小説・美術・音楽などの作品から、私たちが受け取るメッセージ(真実)は、作品に直接的に表現されているものではありません。それは暗示されたり、比喩で表されたり、何かに表象されてるに過ぎないのです。


だって、何かの恋愛小説の最後の一行に、
「結局、愛こそすべてなのだ」
なんて格言めいた事が書いてあったら、誰だって萎えてしまいますよね。
言わないからこそ、つまり、わざとぽっこりと空けた所にこそ、読者は惹き付けられ想像力を掻き立てるのです。そこで、みずから何かしらの帰結なり教訓を読者の中から、呼び起こすからこそ、「共感」が生まれ作品が受け入れられるのではしょうか。

つまり、彼らの曲は僕にとっては、「世界平和がいいね」「戦争なくそうよ」といった陳腐な言葉の羅列にしか聞こえなくて、そして、「そうは言ってもホントウの事だろう」といった妙に拒否できないようなイヤな押しつけがましい感じを受けてしまうのです。

平和を愛するがゆえに起きてしまう戦争・紛争。誰しも望んでいるわけではないのに進む環境破壊など、その悲しき自己矛盾の存在、それにスポットをうまくあてる事ができるのが名作とよばれるはずであります。

2012年5月9日水曜日

二極化する

僕が中学校のころからおかしいなあと感じていた動きが、この二極化。 当時、先生が生徒の成績分布表を配っていて、そのグラフが例年、典型的に二極化を示していたのを覚えている。
先生も、このような成績のばらつきは最近の新しい傾向で困っていると言っていた。
 今までの日本(と限定してしまっていいいのか)では、一億総中流の名にふさわしく多数が中間的な、平均的な数値であった。それは、成績にしろ、収入しろ、社会的なステータスはそのような分布を示していた。そのようなグラフは真ん中がぼこっと膨れ、左右になだらかに流れていくグラフであった。
今は違う。
 グラフは左右にぼこっと二つのグラフが出来上がり、その平均となる中間の値は谷になっていて誰もいない。 日本は、「できる人」と「できない人」に二分されてしまったのだ。 収入もそうだ。平均は600万ぐらいだと言われるが、それは右の山にいる一部の金持ちのおかげであって、多くは定職のない中で、低い収入に苦しんでいる。 
この動きは、ちょっと見方を変えればEUにもいえる。
 例えば、フランスの選挙では、20%近い支持率をかなり右に偏った政党がえた。ギリシャもしかり。(この動きはまた考察したいが) 一方で、福祉国家のために左翼も台頭してくる。政治の指示も、右と左の山に分かれてしまっている。 

そう考えると、いろんな問題が見えてくる。テレビや新聞といったマスメディアは、大多数の中に、最大公約を見いだし、大衆に伝わる・ニーズのある情報を発信しなくてはならないが、このように、大衆層も一枚岩でなく、分断されてくると、いわゆる〇〇離れが始まる。

ただ、果たして、成績や収入といった社会的クラスがそういった文化的な嗜好まで影響を与えるかは分からない。 勉強のできる金持ちだって、頭の良くない貧乏人だってユニクロの服を着る。そういった意味では、消費と社会的資本のかかわり合いが複雑になってきている。 
ただ、少なくとも多くの場面で、起きているこのような二極化運動は、ひとつにはなれない日本を示している。
 このテーマでまた考えていきたい。

2012年4月24日火曜日

遅刻の言い訳



遅刻、それは誰もがしてしまう過ち。
僕自身は、遅刻ばっかりしています。
もう遅刻魔じゃすまないぐらい。遅刻大魔神、遅刻閻魔大王といっても過言ではないぐらいに。


中学高校と繰り返し、そのたびに謝っていると、うまい言い逃れも考えでたもので、今日はそんなときの言い訳を書いていきます。


「アラームのシステムトラブルです。」
これは、一見、なんかカッコいいこといってるけど、用は「目覚まし時計忘れました。」と同じです。トラブルなので壊れたわけではないです。


「自転車の遅延が…」
これは自転車通勤に使えますね。
これぱっと聞くと、「電車の遅延が…」に聞こえるんですよね。モゴモゴして言いましょう。


「向かい風でした」
これふざけてるようで実は真面目なんですね。いや、ホントに自転車だと向かい風がどうかで、数分は変わりますからね。ホントに。


「時空が歪みました。」
これも大真面目です。正しくは、「あなたと私の時間軸にズレが起きてます」です。ハアって言われたら、アインシュタインの一般相対性理論を説明しましょう。モノが光速に近い速度で動くと、そのモノの時間は遅れます。つまり、急ぐあまり、うっかり光速に近づいてしまうと、時間の進みが遅くなり、その人にとっては5分でも、まわりは10分経ってしまうわけです。まあ、その場合には、光速のまま、はるか彼方の銀河まで行ってしまって可能性が高いわけで、「地球は青かった」とでも言ってやりましょう。

「電車の遅延です」
なにも自分の乗った電車が遅延とは言ってません。今の
ネットの時代。日本のどこかで遅れている電車を探してきて、それを証拠にしましょう。



大事なのは、嘘をつかないことです。なにも、自分がそうゆう状態に陥ったと言う必要はありません。言わなきゃ嘘にはなりませんから。
屁理屈のように聞こえますが、実はこれ哲学者カントも言っています。
この話はまた次回にしたいですが、簡潔に言うと、嘘をつかないことこそが、道徳の極みであり、どんな状況でも、たとえば、殺人者の前で友人を匿っていたとしても、嘘をつかずに切り抜ける方法はある、とのことです。

2012年4月20日金曜日

中国の経済成長は止まるのか


今週のニューズウィークは中国に関する事です。

阪急コミュニケーションズ
発売日:2012-04-18




僕が思うに、経済成長というのはいつか止まります。中国の場合も、それがいつかおこるのですが、問題はその止まり方だと思います。
いわゆる日本のバブル崩壊のように、急速な冷え込み、いわゆるクラッシュが起きると、中国経済のみならず、国内情勢は一気に悪化するのではないでしょうか。それだけ、中国は抱えているリスクが多いと思います。格差、民族問題、環境問題と今経済成長によってなんとかうまくやり過ごしている諸処の問題が噴出し始めたら、共産党といえども、それを止める事はできないでしょう。

その日がくるのか、それともその前に、うまく軟着陸できるのか?
気になるところです。

2012年4月17日火曜日

変われないと思いながらも、前に進む事


久しぶりに、思ったことを書く。

僕の、日常は、できない自分とやりたい自分が葛藤していて、いつもできない自分が責められている。

やろう、やろうと自己啓発の繰り返し。

でも、最近はそこから一歩抜け出したように感じる。
それは、結局自己啓発なんてやっても変わらないという諦め、ではない。
自己啓発、つまり自分を定量化し、そのもとで、効率的に目標に向かって自分を仕向けるメソッドは、効果がないわけでないと思う。(ただ、気になるのは、経営者や影響力のある人で、仕事ができないから、自己啓発方法でなんとか仕事をこなしてます、って人はあまり見ない)

ようは、この自己啓発は完璧にこなす事ができない。多くのメソッドは、一人でこなす事ができなくて、外部のしっかりしたコーチを雇って監視してもらう必要があるからだ。そこまでの事は、結局できなくて、なんだかなったつもりの日々が大多数だからだ。


もう一つ、二年前の手帳を見て、少しがっかりした。
なんだか変わってない。書くことはいつも同じ。なんだか追われるように予定を書いて、やろうやろうとする事は多いけど、出来ずじまいも多々ある。
いわゆるTO DOの繰り返し。

なんだ色々、変わろうとしてるけど、変われないじゃないか、と感じた。
人ってやっぱり変われない。三つ子の魂百までという、簡単な事実に気づいたのです。
でもそれは悪い事じゃない。
変われないもの、に固執して、自分をの弱みをなんとかしようと無駄な戦いをするよりも、それも個性の内、(ある種、すべてのパーソナリティーは陰陽のように長所と短所を兼ねるから)、自分自身をどうマネジメントするか、強みを増やし活かしいくか、という方向に目を向けた方が良いと、僕は、感じたのだ。

いまさらセンスがないのは分かってる事、だったら、目指すべきは
そのセンスをどうこう修正するよりかは、他の長所でカバーできるか考えるべきだなと思ったわけ。
つまり、限界はある。だけど、それで道が絶たれたわけじゃない。

そんな感じで、前向きになれた訳です。
将来の事で、不安になってもしょうがない。とりあえず、いまの学校生活、課題を有益にしようと思いました。
おっと、別に未来の事を考えない訳ではないですよ、僕という性向から行くと、勝手に考えてしまうのだから、そちらに任せておこうという考えです。

そして、毎度の事ながら、やっぱりブログはしっかり毎日書いて行こうと思った。多くの人に読んでほしいからね。

2012年2月22日水曜日

最近面白かった広告


最近なるほどと思った広告を貼っていきます。

まずはスマートフォンnexusのCM
youtubeのCMは基本即スキップするんですが、これは最後まで見入ってしまう。


と思ったらyoutubeのコメント欄は荒れぐあい。
まあサムソンという韓国企業に、そのCMは確かにアップルのパクリそのまま。
でも、こうやってソフト面を押し出し、変わりゆく消費の形だったり、ライフスタイルの変革に訴えるPRはストーリー戦略の一種で、むしろこれが主流になっていくのでは?
まあ、サムソンが良いメーカーでないことは、あながち間違いでないような気はします。技術盗用の疑いでたくさん裁判になっているしね。まがい物だという意見もある。
翻って日本のCMは未だに性能がうんたらかんたら、微粒子だ、ハイテクなんたら、だと分かりづらい。ひどいのはエネファームのエネゴリ君のような面白くもないダジャレを押しつけるようなCM。そういったのは、もうCMスキップなり、飛ばしで見られないようになってしまうのではないでしょうか?
それは特にこれから増加するであろうWEBの広告が顕著だと思う。
バーグハンバーグバーグのシモダさんも、ワンクリック、最初の数秒の印象でページを閉じられてしまわないように、ファーストインプレッションが重要だって言ってたような気がする。

他に面白い広告はこんなものかな。



airfranceの飛行機型の机に座っているビジネスマンの新聞広告がスタイリッシュで良かったけど見つかんなかった。

以上、久しぶりの更新はこれまで!

2012年1月25日水曜日

最近の事


最近は、また色々と生活習慣に気をつけている。
特に睡眠時間。これを改善してからだいぶ体の調子とかが良くなった気がする。
睡眠時間も長く寝ればいいのではなく、10時~3時の時間に寝るのがホルモンやらなんやかんやで重要らしい。
なので、目標は10時に寝て、朝4時に起きる。これでも6時間は寝れる。
今日は達成できた。

こうやって朝早く起きれば、ブログも書けるし、本も読めるし、勉強もできるし三文の徳ハンパねえっす。
よし、頑張ろう。

ということで、今度は健康についてかなり調べたのでそれについて披露しようかな。

2012年1月7日土曜日

壱萬円

よくこういった表記をみて、小さいころは漢字が読めなかったので、一体いくらか分からず、なんかすごく高そうなイメージを持っていました。一万円なのにね。

貨幣の本質は、僕は可能性にあると思っています。

で、この元旦に僕はお年玉を壱萬円もらいました。
結論からいうと、今日なくなりました。というか、使いました。

可能性とは、経済学などでは、そのお金を消費することで僕個人の効用を大きくする、その選択肢の可能性のことです。つまり、そのお金を使って色んなモノを買うわけだけど、それでどれだけ楽しめるか、満足できるか、ってことですよね。逆に、どんな具合に、どんな感じの幸福感を得たいかでお金を使うか決める。まあ、それは個人の価値観や幸福感の話に繋がっていくのだけど…

それでこの一週間に使ったのは、
会食3000円
雑誌1000円
スロット3000円

これ以上がさっぱり、手帳を見ても思い出せない。
つまり3000円ぐらいが雑費。僕の効用とは関係ないですよね。真の無駄遣いです。
え、スロットもおかしい?確かに。(Kさんごめんなさい)
計6000円僕は何をしていたのでしょうか。

10000円。その可能性を僕は最大限引き出せたのでしょうか?
例えば、確か50000円ぐらいでアフリカなどの新興国の起業支援債が買えるんですよね。そっちのほうがよっぽどクールだ。
たらればの話はしたくないけど、もっと自分をコントロールしてもいいのでは?

そう思った金曜の夜。

夜風と一緒に頭も冷やせ!


良い週末を

2012年1月2日月曜日

レビュー:僕が2ちゃんねるを捨てた理由

ニコニコ動画やクラウドコンピューティングのネット新興コンテンツを旧体制のテレビを絡めながら話されます。
副題にネットビジネス現実論と付いていて、メディアの収入源と云える広告費についての比較が面白かった。広告はテレビからネットに流れているというけど、実際には費用的にはネットが有利という訳ではないらしいです。そこんとこのカラクリは勉強になります。つまり、別にテレビでやっている事が全てネットに移っていくのではなく、役割が分化していくだろう、と。以前もテレビで映画が流れるようになった時も、映画業界では反発が大きかったけども、結果的にはDVD販売や続編への誘導になっていて、そこまで悪くなかっただろうと。
ただテレビ関係者にその両方の特性を理解し、うまくふるまえそうな人は少ないらしいです。
著者のひろゆきさんはネットビジネスには有料コンテンツが必須だと言っています。

僕がAKBを嫌いな理由


だいぶ私情が入っているので読みづらいです。ごめんなさい。

僕はAKBが嫌いです。
今の日本の多くの場所で、こう言うだけで非国民の扱いを受けます。
ですから、ひっそりとブログにそれを書いておこうかと思います。
ただね、僕のもちゃんとAKBが嫌いな理由があるんですよ。逆に好きなヤツなんてメディア戦略に乗せられているだけのB層だろう、と。
そう、AKBにはメディア戦略が見えすぎて嫌になる。電通がちらちら見えてるっつーの。確か、オーディションの時にも、電通の人は入ってるんですよね。
つまり、「つくりあげられた」アイドルにすぎない。確かに、n次消費の極地にあるんていうけど、そんなにコンテンツにのめり込まない僕からするとどうでもよくて、そんなの掲示板の馴れ合い材料にすぎないのでは?なんて、思ったり。
僕が考えているアイドルっていうのは純粋に可愛くて、無垢で、まさに愛でられる存在であるべきなんですけど(これってある種のレイプファンタジー?)、それが一切ない。
だって、これは明らかなように、みんなクラスで5~7番目くらいの可愛さ。これひょっとしたら人によってはブスに入る。
ここで言いたいのは、AKBがそこまで可愛い子の集団でないのは公式で認められてることで、そうゆうコンセプトなのに、それを可愛い、可愛いと言って騒いでいるのは、別にただTVで取り上げられているだけの(同調圧力に屈して、群れているだけの)ミーハー以外の何物でもない、という事。
話を戻します。で、このAKBってアイドルには秋元が長年かけて築いたプロモーション戦略その他もろもろの技術が詰め込まれて、成り立っているのであって、すごくユニーク(固有)な人達の集まりではないということ。
彼女たちの随所で見せるコメントもまったく面白くない。用意されたように、感謝だの頑張るだの繰り返すドヤ顔の高橋みなみに僕は耐えられません。
じゃあお前は誰なんだ、って聞かれたら僕はperfumeを押します。
彼女たちは、10年以上も前から広島で長いこと活躍して、しゃべりも天然入っていて面白い。楽曲も良い、というかユニーク。全年齢対象。まさに入れ替え不可能な存在だと思うのです。

書いてて気づいたのが、感情的になって論理性を書いているという事。
近田さんのアイドル論から勉強するかな。



2012年1月1日日曜日

ブクログから

なんかプレゼン本てこれだけ読めばいいのでは?と思える本でした。
特別な事が書いてあるわけではないんですよね。
「パワーポイントによる死」なんて面白い言葉が何回も出てくる。
つまり、あまりパソコンに依存にするのはやめろって事です。アナログでのアイデアのアウトプットとまとめ方があって初めてプレゼンが活きてくる。そして、それをうまく相手に伝えるには、ちょっとしたコツがいる。それだけの事です。
本書には内容を公演した時のDVDが付いていて、理解しやすいです。
分かりやすいプレゼンを分かりやすくプレゼンするという素晴らしいメタっぷり(笑)。

新年あけましておめでとう


「歳をとるのは嫌がるくせに年を越すのは祝うなんておめでたい奴だ」
こんな感じのセリフをCMで聞きました。

確かに、今使っているこの暦っていうのは何かの便宜上のものでしかない。旧正月があるように、正月を祝ってるのはある種一部の人だけですもんね。
この暦を僕たちは特に疑いもせず使っている。文化的なものって言ったらそうかもしれない。
文化的とは、生活の根幹、とっても深いところを形成していてそれを選択とか承認する以前に、僕らの血肉化している事物という意味です。
常識なんてやつは、かなり恣意的なのです。

そう考えると、自分たちがおめでたいヤツらに見えてきませんか。
押しつけれたものを鵜吞みにして、勝手に喜んだり祝ったりする。
でもそれを遡れば、「何でそんな文化があるの」「あるから、あるの!」としか答えられないようなところに行きつくんですよね。
文化的な輸入もそれの混合にしか過ぎない。(でも自分の文化に無関心だと経済性によって文化的なものが入ってきてしまう)

なんてことを考えていたら疑って何事も喜べないな


あ~分かりづらい文章
またまとめよう。