2012年10月11日木曜日
認知症について
最近、認知症の方達とふれあう機会があったので、そのときの話を。
今まで認知症を知らなかったので、思った通りに書きます。まだまだ勘違いしているとことがあると思うので、指摘していただけるとありがたいです。
認知症って色んな種類があるんですね。
よくあるイメージは、介護施設にいるのに、帰ると言い出したり、ご飯を食べたか忘れるような人。今回も、仕事に行くといって帰りたがる人がいました。その場で少しなだめれば落ち着くけど、また数分後にはまた同じやり取りをします。その方は、普段はかなりはっきりされています。
中には、しっかり会話も通じるし物忘れもないお婆ちゃんとか居たけれど、介護している人が言うには、やっぱりどこか飛んでいる所があるらしくそれは一緒に生活しないと分からないと言っていました。
本人が、いやー私もバカになっちゃって何にも覚えてないよ、と言う人もいます。
直近の事は覚えているけど、過去の事は忘れてしまっている人。
かなりハッキリしているのに、仕事に行く、など言う人。
言葉は喋るけど、話が理解できない人。これらはおそらく認知症を超えた複合的なものでしょう。
今少し、調べたのですが、認知症はこれらの記憶障害だけでなく、判断力や認識、論理性に障害が起きるようですね。
確かに、物忘れなら、誰にでも起こりうる話。
僕だって、昨日の夕食もあやふやです。
では、何の違いが、知力に影響を及ぼすのか。
脳機能に障害が発生する、ある部分に欠損が起こる、というのなら、それらは一体どのような機能なのか。それが知力に関係しているのではないでしょうかね。
パソコンでは、直近のデータ(目の前の処理やすぐ使うデータ)と、またいつか使うような長い期間とっておくデータのためのメモリは違います。
では、パソコンの判断や論理ってなんでしょか。
それは、人間があらかじめプログラムしたアルゴリズムに沿ったものでしかないはず。それか経験学習によるもの。このところで、人間と知力において差がでる、と言われます。
結局、現在の認識でないのでしょうか。人間は、初めて見たものでも、そのまんまに、アナログに、大雑把に、見当をつけて、認識することができます。
PCはできない。デジタル信号に置き換えてでしか、認識ができない。
では、認識ってなんでしょう。
認識ってメタ的な視線を持つ事ではないでしょうか。
今までの何かと、結びつけて考える、記憶に覚える。
新しい何かを見ることで、古い記憶も生きてくる。そんな風に思えます。
認知症とは、そのプロセスがうまく行かなくなってどこかにエラーが起きる現象だと思います。
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