「歳をとるのは嫌がるくせに年を越すのは祝うなんておめでたい奴だ」
こんな感じのセリフをCMで聞きました。
確かに、今使っているこの暦っていうのは何かの便宜上のものでしかない。旧正月があるように、正月を祝ってるのはある種一部の人だけですもんね。
この暦を僕たちは特に疑いもせず使っている。文化的なものって言ったらそうかもしれない。
文化的とは、生活の根幹、とっても深いところを形成していてそれを選択とか承認する以前に、僕らの血肉化している事物という意味です。
常識なんてやつは、かなり恣意的なのです。
そう考えると、自分たちがおめでたいヤツらに見えてきませんか。
押しつけれたものを鵜吞みにして、勝手に喜んだり祝ったりする。
でもそれを遡れば、「何でそんな文化があるの」「あるから、あるの!」としか答えられないようなところに行きつくんですよね。
文化的な輸入もそれの混合にしか過ぎない。(でも自分の文化に無関心だと経済性によって文化的なものが入ってきてしまう)
なんてことを考えていたら疑って何事も喜べないな
あ~分かりづらい文章
またまとめよう。
どこかで、人類(人種か)は決まりごとを作って喜んだり泣いたり思い出したり、ようするにイベントを行わないと生きていけないんだっていうのを思い出した。秩序が乱れるっていうのとはちょっと違うのかもしれないけど無理にでも一喜一憂しないと生きてる感が得られないのかも?法律も大きくいっちゃえば同じようなものなのかな、サル社会やゾウ社会ではどうなっているのかな。
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