僕が中学校のころからおかしいなあと感じていた動きが、この二極化。
当時、先生が生徒の成績分布表を配っていて、そのグラフが例年、典型的に二極化を示していたのを覚えている。
先生も、このような成績のばらつきは最近の新しい傾向で困っていると言っていた。
今までの日本(と限定してしまっていいいのか)では、一億総中流の名にふさわしく多数が中間的な、平均的な数値であった。それは、成績にしろ、収入しろ、社会的なステータスはそのような分布を示していた。そのようなグラフは真ん中がぼこっと膨れ、左右になだらかに流れていくグラフであった。
今は違う。
グラフは左右にぼこっと二つのグラフが出来上がり、その平均となる中間の値は谷になっていて誰もいない。
日本は、「できる人」と「できない人」に二分されてしまったのだ。
収入もそうだ。平均は600万ぐらいだと言われるが、それは右の山にいる一部の金持ちのおかげであって、多くは定職のない中で、低い収入に苦しんでいる。
この動きは、ちょっと見方を変えればEUにもいえる。
例えば、フランスの選挙では、20%近い支持率をかなり右に偏った政党がえた。ギリシャもしかり。(この動きはまた考察したいが)
一方で、福祉国家のために左翼も台頭してくる。政治の指示も、右と左の山に分かれてしまっている。
そう考えると、いろんな問題が見えてくる。テレビや新聞といったマスメディアは、大多数の中に、最大公約を見いだし、大衆に伝わる・ニーズのある情報を発信しなくてはならないが、このように、大衆層も一枚岩でなく、分断されてくると、いわゆる〇〇離れが始まる。
ただ、果たして、成績や収入といった社会的クラスがそういった文化的な嗜好まで影響を与えるかは分からない。
勉強のできる金持ちだって、頭の良くない貧乏人だってユニクロの服を着る。そういった意味では、消費と社会的資本のかかわり合いが複雑になってきている。
ただ、少なくとも多くの場面で、起きているこのような二極化運動は、ひとつにはなれない日本を示している。
このテーマでまた考えていきたい。